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みのむしが友人(ハガキ)に無茶ぶりされて、無理やり2000字書きました。

(お題:ハロウィン・泣き虫・キッチンタイマーを含めること/制限時間1時間)

ЗМЕЯ

 急ブレーキで本から顔を上げると、窓に乗客が反射しているのが見えた。どうもよろめいた人がいるらしい。「すみません」「いえいえ」そんな言葉を聞きながら、ハガキは本に目を落とした。
 どこまで読んだだろうか。一番前の行からもう一度読み返しながら、耳は車掌のアナウンスを捉えていた。
「前方の踏切で無理な横断があり、急ブレーキがかかりました。お客様にはご迷惑をおかけしますが、踏切点検のため、今しばらくお待ちください。」
 人身事故ではないらしい。
 どちらにせよ、今日中に読み切るつもりの本なのだから時間を気にしているわけではないのだが、やはり人間は気になるものなんだな、などと訳の分からないことを考えたような気がした。

 電車を降り、帰宅する途中のスーパーで総菜を買って帰るのが日課だ。決して仕事が忙しいわけでもなく、自炊をする時間がないわけではないが、ただただ献立を考え、調理の手順を考え、料理をし、口に入れて、満足し、だらだらとしたくなるところで洗い物をしなければならない。その事実がなんとも億劫で、総菜には大層お世話になっているのである。
 総菜コーナーをうろつきながら、値引きシールを貼られたものを中心に選んでいく。サラダと、いかにも和食と言いたくなるような煮物が大体残っている。それらをかごに入れていく。それと明日の朝ごはんに菓子パンを買えば完璧だ。
 菓子パンは今ハロウィンシーズンだからか、やたらとオバケやらカボチャやらがあっちこっちを向いている。ハロウィンビジネスも大きくなったものだ、やれやれ、のようなことを心の中で思ったような気がした。

 会計を済ませて家路をのそのそと歩く。総菜と菓子パンと飲み物くらいしか入っていない買い物袋だから何も重いわけではないが、秋のこの時期はなんとなく夜が重い。ときおり電灯の下に集まっている蛾に目をやりながら、家に帰った。何もかもが重いのだ。何もかも、というのは何のことかわからないが、とにかく何かが重い。常に重い。

 ハガキはいつも、心の中で思っていることが「思っていること」なのか、「思っていないこと」なのかがよくわからない。それについて考え始めると、訳がわからないくらい泣きたくなる。自分がわからない。他人もわからない。そう思った瞬間に「そんなことを思っていない」と否定したくなり、それを否定した瞬間に「そう思った」ことになる、ということを繰り返す。ぐるぐる回り続ける。まるで蛇のとぐろのようだ、そんな風に思った、いや、思っていない。いや、やはり思ったような気がした。そう、一匹の蛇にいつも捕まっている。

 帰宅後はTwitterをチェックしながら、買ってきた総菜を温める。一日のタイムラインを眺めながら、突然ピピピピと音がした。同時に、少し出汁のきいたにおいが漂ってくる。電子レンジのタイマーがうまく機能しないので、キッチンタイマーを併用している。その音だ。さっき買ったひじきの煮物とカボチャの甘煮が立てる湯気で空腹に気付いた。これは間違いない。思った気がしたわけではなくてお腹が鳴ったのだから事実だ。そうだ、事実だ。こんなに安心することがあるだろうか——。

 テレビをつけると次々とチャンネルを変え、おもしろくなさそうなバラエティ番組や、ニュースを、食事と一緒につまみ食いしていく。特に意味はないが、電車で読んでいた本の続きを読もうという気にはあまりならない。総菜を買っているのは、だらだらする時間を買うためなのだ。読まねばならない本があるかどうかなど関係ない。後で寝る前にでも読み切ってしまえば良いに過ぎない。

 キッチンタイマーはバスタブに湯を張る時にも活躍する。水栓を最大量に回してきっちり6分45秒でちょうどいい量がたまる。お湯につかりながら、今日の上司とのやり取りを思い出していた。
「ハガキさん、コピーと資料の配布お願いしていい?」
 その一言に、自分でやったらどうですかと言い返したい気持ちを抱いたような気がした。だが、結局ハガキ自身がコピーしたのだから本当にそう思ったのかどうかも、ただただ忘れてしまった。こうやってどんどん忘れていく。

 お風呂上がりに髪の毛を乾かし終えると、ようやくベッドで本の続きを読み始めた。
 1時間ほどして読み切り、そのまま電気を消して眠ろうとする。目を閉じた瞬間、電気の残像が蛇に見えた。

 蛇——。
 夜、蛇のとぐろに捕まってしまえば、どんどんきつく締めあげられていく。今までの自分は何をしてきた?自分の将来は?本当にしたいことは?仕事は?あと何年残っているのだ?大声をあげて枕に顔をうずめてしまいかねない。自分はそんなに泣き虫であっただろうか、いいや、そんなことはない、そんな気がした。
 ああ、蛇だ。蛇がいる。いつもの蛇だ。

 自分がわからないことほど恐ろしいことはない。
 体が、本能が、腹が減った、眠い、トイレに行きたい、まぶしい、そう主張してくるときほど安らぐことが他にあるだろうか。その瞬間だけ、自由になれる。なのにその自由は長くは続かない。結局蛇がいることに慣れきっているのだ。蛇がいる方がいいのだ。

 結局、蛇に抱かれて明日を迎える。何もわからないまま朝を迎える。

 いつの間にか眠りに落ち、いつの間にか目が覚め、また電車に乗り、出勤し、退勤し、総菜を買い、キッチンタイマーで管理されたレンジを使い、蛇と眠る。
ハロウィンが終わればどうせクリスマスに変わり、お正月が来て、雛祭り、入学シーズン、子供の日、七夕、夏休み、ハロウィンなのだ。もっと大きな蛇もいる。

 眠るとき以外にも蛇はうじゃうじゃと、常に、そこかしこにいる。

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投稿者

minomushiko@gmail.com

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