『京都発・庭の歴史』今江秀史

いつどこで見かけて買ったのかわからないのですが、おそらくジャケ買いしたのだろう一冊を読了しました。従来の「庭園の見方」とは一線を画する、平安時代から現代までを貫く理論を提示した画期的な一冊です。

第一章を読んだ時点で唸ってしまいました。ここ最近の中で一番のアタリ書です。
そして最後まで読んでみると、博論を改訂し、一般向けに出版されたものだと知りました。なるほど、と腑に落ちる思いです。

「庭園」をご案内することは、通訳案内士のみならず、ガイド業務に携わればどの言語でもあることです。その中で、一つ一つの庭園をご案内することができても、通史的にご案内することができるか?私は常々そのことに疑問を思っていました。

例えば京都御所の南庭が儀式のための場でした、二の丸庭園はこのように見るものです、ここが築山です。枯山水です。そのような解説に一体どんな意味があるのか。特に初めてきた日本で、日本庭園になじみがなく知識が浅いところになされる、そのような個々の解説に一体どんな意味があるのか。「美しい」以上の何かをご提供できるのか?常々その疑問を抱えながらご案内をしていましたが、この本で一気に現代と過去を結び付けて、「庭」の機能を解説しつつ、個々のおもしろさをご案内できる突破口を得ました。

まずキーとなるのは一章で示される庭の四区分でしょう。それがどのように時代背景とともに移り変わってきたのかを追うことで、どのような寺社・邸宅を訪れても応用的に解説ができるはずです。そしてツアーそのものを貫く一本の柱とすることもできる。これほど面白い視点はなかなか簡単には得られません。

ふんだんに著者の経験則を取り入れた本書は、理論からかけ離れた現象学の取り組みを感じ、自身の目指すガイド象と相まって非常にわくわくしながら読めました。そんなことを考えているうちに、終章p192にメルロ=ポンティの名が!

やはりそうだったか!と膝を打つ思いとともに、本書のように、従来のひとつひとつの「庭園」理論が、日常に根差した現象の「庭」という取り組みとして捉えられるのであれば、「ガイド業務」という場においても、同じように、日常生活から切り離され、ひとつひとつの個別した案内がされがちな案内を、より活き活きとした「物語」に復活させることが可能に違いない、という一つの指針を個人的に得ました。

そしてそれが私の目指しているところと、修士課程に入る理由ですから、個人的にこの著者の今江秀史氏に親近感を覚えました。機会があるなら是非お話をうかがいたい。

ちなみにメルロ=ポンティの現象学については演劇の取り組みの際にサクッと読んだのがこの一冊です。

簡単に言ってしまえば、対象を対象として、すなわち分離された状態で分析するのは不十分で、(広義の)精神的・身体的交流を考慮に入れなければならない、ということでしょうか。(間違ってたらごめんなさい、上述の本を読んでください。)そこには西洋哲学で長きにわたって当然とされてきた二項対立に対する批判が含まれています。

まあ、フッサールやらポンティやら難しいことを考えなくても、要は、美しい庭園を見たときに、美しい以上の何かを伝えることができるのかどうか、「きれいだけどだから何なの?」というお客様の問いに対して、この一冊を読めば、過去・現在・そして未来の日本の庭とその機能を答えとして提示できる用意ができる、ということです。

いやぁ、よかった!博論そのものもリポジトリで読めるようです。

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