著者のAlex Kerr氏とは面識があり、何より共感するところが多いので改めて読み直しました。観光学という視点で物事を俯瞰的に捉えた時に、ポストモダン以降、このような個人客の流れが増加することが予測できたはずで(参照:『現代観光学 ツーリズムから「いま」がみえる』)、さらにそれが世界の他の都市で顕著に表れていたため、参考にすることは十分可能であったはずです。日本が観光客の爆発的増加に対して無策であったことに嘆きと憤りを感じます。
特に京都で活動する通訳案内士として、現場を見ればオーバーツーリズムと呼ばれる状況は深刻です。正確には、有名観光地への一極集中でしょうか。さらに、日本独特のマナーの啓蒙が遅れ、苦情に繋がるケースがどうしても目につきます。ただしそれは、訪日されるお客様の問題だけではなく、啓発が後手にまわった影響が大いにあるでしょう。また、受け入れ施設側のマネジメントがされないまま、訪日客を増やせるだけ増やそうとした結果とも言えます。
私が常々思うガイドが存在する意味は、お客様にそれとなくマナーを伝えることも重大な責務だということです。どうしてここでは写真を撮ってはだめなのか、どうして階段に座ってはいけないのか。大声で話していいのかどうか。
日本人からしたら「当たり前」と思うことでも、文化が違えば当然「当たり前」が違います。まれに「日本ではこのようにするのがスマートなマナーだから」とお伝えして「なんて窮屈なの!」と思われる方がいらっしゃるかもしれませんが、そのような方にこそ快適にご旅行いただけるよう、丁寧にご対応し、配慮することが必要でしょう。
万が一、ガイドがついておきながらマナー違反を犯すようであれば、ガイド失格、少なくとも通訳案内士としては言語道断と私は言い切ります。観光地について話すだけがガイドではありません。
一方で、ガイドのついていない個人客のお客様に対しての啓蒙についつい「撮影禁止」「飲食禁止」などの看板の設置を考えがちですが、功を奏していないことも結果として、もしくはデータとして得られているのではないかと想像します。何より、異国の地で高揚した気分の中で、じっくり立て看板を見ることなど、さらに自分の言語でない看板を見ることなど、ストレス以外の何物でもなく現実的ではないものです。
幸いなことに、つい最近、忍者と黒子が出演するマナー啓発ビデオを政府主導で作成したと耳にしました。駅のビデオパネルや、飛行機内など、目に触れるところで積極的に流していければ、自然と「郷に入っては郷に従う」感覚が養われるのではないかと期待します。
何より、日本にいらっしゃるほとんどのお客様は”I don’t want to be rude.”や”I don’t want to offend you.”といったことをよくおっしゃいます。自分が知らないうちにマナー違反をし、周囲を不快にするということはしたくないと思う方が多いからこそ、ガイドがいてもいなくても適切な振る舞いを伝えられる環境を整えることの意義は大きいものです。