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某所から補助金をいただきました

あまり大声では言えないのですが、所属するとある組織から給付金をいただきました。これをもって「たびのむし」を拡大せよとのお達しです。

加えて、一時支援金の対象となっているので、もうすぐ振り込まれるようです。

先日の学割利用による散財はこれでチャラですね(違

ところで、スケジュールをうまく立てられず、困っています。
今は家業とガイドと学生と講師の4本柱。いくらなんでも多すぎです。

これをどうするかが腕の見せ所…といいたいのですが、家業はなにせ、現場に入らないと机上でうんうん唸っていても進みませんし、技術も身に付きません。そうすると、ガイドや学生としての勉強時間が一気に減ってしまう。
困ったものです。

今は日中は工場に入り、昼間に書類を作成し、たまに京都に出て、道中にぼけっとする、という状態なので、なんとか家業をもう少し身につけて疲労を軽減し、道中のぼけっとしている時間を、読書や映画の分析にあてたいものです。

放送大学大学院入学!

無事、放送大学の大学院人文学プログラムに所属することができました。

学生証を4/1に取りに行こうとしたところ、入学許可書がまだ発行されておらず、学生証も発行できないとのことで、とてもウキウキしてたので出鼻をくじかれましたが、なんとか今は手に入れることができました。

そして学割を利用してiPad air、apple pencil第2世代、surface laptop 3を買っているので、さっそく金欠です。

surfaceはlaptop 2も持っているので完全に出来心で買ってしまいました。(欲しかったんだん。)

ところで、大学院生ということで、いくつか奨学金の応募資格があります。果たして通るのかどうかは置いておいて、チャレンジはしてみたいと思います。またしばらく書類に追われます。

法人登記の変更は難しい

長らく浮上できないでいましたが、実は家業の手伝いをしておりました。
それも、登記の変更という、全くやったことのない分野での手伝いです。

手伝いというか、丸投げです。

死にそうな思いをしながらあっちへ行き、こっちへ行き、書類を調べ、整えて法務局に出向き、整えたつもりが整ってなかったりしたものの、無事に終えることができました。

なんせ、今で3代目になるので、古い定款やら役員やら、大変なことになっておりました…。行政書士に頼んでおくれと思いながら、金銭負担もあることですし、個人でできないこともないわけですので、やっていたのですが、株も役員も死亡もややこしすぎるんじゃ!!!と半ギレになりました。

何か細かい点でも変わったら、手続きはめんどくさがらずにさっさとやろう、後続のために。という教訓を得ました。

といっても、私が得ても仕方ないのですが。

おーーーーい、しゃちょーーーー!聞いてますかーーーー!

次は決算です。殺す気か・・・・・・・。

2021年を迎えて

あけましておめでとうございます。2021年はツアーがなく、6年ぶり?に実家(近い)で久々に年越しをしました。そしてそのまま氏神様へ初詣。ここのおみくじは私にとってよく当たるのです。

去年もまさにおみくじの通り、毎年そうですから今年もでしょう。楽しみな一年にはなりそうです。心配なのは、商売:利おそし。となっているところ。まあ、それもそうか。

通訳案内士の看板を下ろさずに何とか踏ん張ったのが2020のまず褒めるべきところだと思っています。敬愛する先輩方がどんどんと暗くなっていく様子、反対に踏ん張っている様子は何とも心に来るものがありました。自分の姿は後輩のみなさん(かつ人生の先輩方)にはどううつったのでしょう。

一方で、自分自身の歩みを内省してみると、読書量としては通読が70冊。毎年100冊を目標にしているので、はるかに下回りました。思ったよりもコロナ初期、そして秋に読んでいませんでした。
数字で振り返ってみると、自分の疲労度というか、手がまわっていないのもよくわかります。合わせて、そのときには思わぬ人々とのつながりが戻り、いよいよアカデミアに戻るのか、という感慨もありました。

今年は研究を片手に仕事をするわけですから、読書量は飛躍的に伸びるでしょう。学部のときとは違って、出来るだけ原典・原著にあたるように努めていこうと思います。

ガイドの仕事もぼちぼち続けながら、研究はしますと宣言している以上、早め早めの行動を心掛けないと、詰むことが今から見えていますね。文章を書くのは大嫌いです。頑張ります。

『京都発・庭の歴史』今江秀史

いつどこで見かけて買ったのかわからないのですが、おそらくジャケ買いしたのだろう一冊を読了しました。従来の「庭園の見方」とは一線を画する、平安時代から現代までを貫く理論を提示した画期的な一冊です。

第一章を読んだ時点で唸ってしまいました。ここ最近の中で一番のアタリ書です。
そして最後まで読んでみると、博論を改訂し、一般向けに出版されたものだと知りました。なるほど、と腑に落ちる思いです。

「庭園」をご案内することは、通訳案内士のみならず、ガイド業務に携わればどの言語でもあることです。その中で、一つ一つの庭園をご案内することができても、通史的にご案内することができるか?私は常々そのことに疑問を思っていました。

例えば京都御所の南庭が儀式のための場でした、二の丸庭園はこのように見るものです、ここが築山です。枯山水です。そのような解説に一体どんな意味があるのか。特に初めてきた日本で、日本庭園になじみがなく知識が浅いところになされる、そのような個々の解説に一体どんな意味があるのか。「美しい」以上の何かをご提供できるのか?常々その疑問を抱えながらご案内をしていましたが、この本で一気に現代と過去を結び付けて、「庭」の機能を解説しつつ、個々のおもしろさをご案内できる突破口を得ました。

まずキーとなるのは一章で示される庭の四区分でしょう。それがどのように時代背景とともに移り変わってきたのかを追うことで、どのような寺社・邸宅を訪れても応用的に解説ができるはずです。そしてツアーそのものを貫く一本の柱とすることもできる。これほど面白い視点はなかなか簡単には得られません。

ふんだんに著者の経験則を取り入れた本書は、理論からかけ離れた現象学の取り組みを感じ、自身の目指すガイド象と相まって非常にわくわくしながら読めました。そんなことを考えているうちに、終章p192にメルロ=ポンティの名が!

やはりそうだったか!と膝を打つ思いとともに、本書のように、従来のひとつひとつの「庭園」理論が、日常に根差した現象の「庭」という取り組みとして捉えられるのであれば、「ガイド業務」という場においても、同じように、日常生活から切り離され、ひとつひとつの個別した案内がされがちな案内を、より活き活きとした「物語」に復活させることが可能に違いない、という一つの指針を個人的に得ました。

そしてそれが私の目指しているところと、修士課程に入る理由ですから、個人的にこの著者の今江秀史氏に親近感を覚えました。機会があるなら是非お話をうかがいたい。

ちなみにメルロ=ポンティの現象学については演劇の取り組みの際にサクッと読んだのがこの一冊です。

簡単に言ってしまえば、対象を対象として、すなわち分離された状態で分析するのは不十分で、(広義の)精神的・身体的交流を考慮に入れなければならない、ということでしょうか。(間違ってたらごめんなさい、上述の本を読んでください。)そこには西洋哲学で長きにわたって当然とされてきた二項対立に対する批判が含まれています。

まあ、フッサールやらポンティやら難しいことを考えなくても、要は、美しい庭園を見たときに、美しい以上の何かを伝えることができるのかどうか、「きれいだけどだから何なの?」というお客様の問いに対して、この一冊を読めば、過去・現在・そして未来の日本の庭とその機能を答えとして提示できる用意ができる、ということです。

いやぁ、よかった!博論そのものもリポジトリで読めるようです。